2025年8月22日、「ミス・ワールド・ジャパン2025」ファイナリスト発表会見が都内で開催され、全国から選ばれた34名が集結した。BPMでは、この中から3名の注目ファイナリストに独占インタビューを実施。【第1弾】は、わずか12歳でサマンサタバサの最年少デザイナー契約を果たし、現在は医学部で学びながらミス・ワールドに挑戦する Laraさん。彼女が語る現時点での想い、そして未来ビジョンに迫る。

ー まず驚かされたのが、サマンサタバサとのデザイナー契約が、当時わずか12歳という最年少での出来事だったことです。どのような経緯でデザイナーへの道が開かれたのでしょうか?

Laraさん: 

私は8歳のころから仕事をしていて、10歳の時に『Little Lara Land(リトル・ララ・ランド)』という本を出版しました。それがアマゾンでNo.1のベストセラーになったことが、一つの転機になったんです。

その後、元AKB48の小嶋陽菜さんとお仕事をご一緒する機会があり、そこからサマンサタバサとつながりができました。最初はスカーフのデザインから始まり、それをきっかけにブランドとのデザイナー契約を結ぶことになりました。

ー イラストを描くことが好きな12歳の女の子が、突然有名ブランドのデザインを任されることになった、想像するだけでも大きな挑戦です。そのとき、プロのデザイナーとしての意識は自然と芽生えたのでしょうか?それとも戸惑いや怖さもあったのでしょうか?

Laraさん: 

正直、当初はまだ子どもだったこともあり、そのすごさにあまり気づいていませんでした。逆にそれが良かったのかもしれません。自分の感性を壊すことなく、無邪気な気持ちのままデザインや絵に向き合うことができたと思います。

また、最初の本を出版した際にサイン会を開いたのですが、来てくださった方から「この本を読んですごく癒された」など、力強い言葉をたくさんいただいたんです。自分にそんな力があるのだと自信を持つことができましたし、見てくださる方に想いが伝わるように、“笑顔”で作品に向き合うことを大切にしています。

ー サマンサタバサのデザイナーという華やかな道を歩みながら、今は医学部で学びを続けていらっしゃいます。率直に伺いますが、なぜ医学の道を選ばれたのですか?将来は医師としてどのようなキャリアを考えているのでしょうか?

Laraさん: 

私は“人を癒す力を活かしたい”という想いから医学の道を選びました。高校生の頃に「人の思考」に関心を持ち、そこから『脳』を学び、その延長で『生物』、そして『医学』へと学びを深めてきた、という流れです。

現在は外科や形成外科の分野に特に関心があります。また、将来的には医学の研究にも挑戦したいと思っていて、例えば『DNA』『遺伝子』『エクソソーム』など、さまざまなテーマに興味を持っています。

ー 本日、ミス・ワールド・ジャパンのファイナリストとしてグランプリを目指すことを表明されました。改めてお伺いします。なぜミス・ワールド・ジャパンに挑戦しようと思われたのでしょうか?

Laraさん: 

私は、賞を獲ることはとても大切だと思っています。タイトルは自然にやってくるものではなく、自分でつかみに行くもの。だからこそ挑戦したいと思いました。

また、これまでケニア、グアテマラ、カンボジアなどでチャリティー活動を行ってきました。その経験から、ミス・ワールドが掲げる“Beauty with a purpose”の理念に深く共感しています。美を通じて人を助けるという考え方は、とても素晴らしいものだと思います。

ー 多言語を操り、すでに世界102カ国を訪れてきたLaraさん。そもそも9ヶ国語はどのように学ばれたのでしょうか?また、世界には195カ国があるとすると、すでに約52%を制覇している計算になります。今後、すべての国を訪れてみたいと思いますか?そして、これまで訪れた国の中で特に思い入れの強い国はありますか?

Laraさん: 

今まで36か国語を習ったことがあって、その中で9か国語をマスターしたという感じです。毎日時間を決めて勉強していて、1日あたり5時間くらいは語学に取り組んでいたと思います。

(すべての国を訪れてみたいかという問いには)もちろん、いつか世界中すべての国を訪れてみたいです。特に印象に残っているのは、ジョージアからアルメニアまで歩いて国境を越えたときのことです。越境が難しくなった場面で、英語だけではなくロシア語も使って状況を説明したら、無事に解決できたんです。そのときに“言語の持つパワー”を強く感じた出来事でした。

ー これまで数々の挑戦を続けてきたLaraさん。では、今この瞬間に思い描いている「将来の夢」は何でしょうか?

Laraさん: 

たくさんありますが、ひとつは『チャリティー』を始めたいと思っています。私はとても恵まれた環境で生きてきました。その環境に、そして両親に感謝するためには、他の人、特に子どもたちにとってチャンスとなる機会を提供することが一つの方法ではないかと考えています。

医者という仕事もそうですが、私は“人を助け、癒せる存在”になりたいんです。

月末にはドイツに帰国する予定のLaraさん。アーティストとして、医学生として、そして多言語を操るハイパーポリグロットとして挑戦を続ける彼女から、ますます目が離せない。