3月 31 日(月)帝国ホテル東京にて、「松尾芸能賞」贈呈式が開催された。日本の伝統ある劇場芸能を助成・振興し、日本独自の文化・芸能の保存と向上を目的とし、芸能出演者や演出・音楽・劇場芸能に高い技術を持つ方々を表彰するもので、今年で46回目を数える。 受賞者一覧 松平健(まつだいらけん):大賞/演劇 松平健スピーチ: 本日はこんなに大きな賞を頂き、幸せ者だと思っております。思えば、私が26歳の時、新歌舞伎座の松尾國三会長からお声がけを頂き、初めて新歌舞伎座で座長公演というものをやらせて頂きました。舞台での芝居の楽しさを知り、以来45年、こんなに大きな賞を頂きまして、やっと認めて頂けたのかな、とそんな思いであります。これまで色々な芝居、ショーをやらせて頂き、共に芝居を作ってきたキャスト、スタッフの皆さま、そして劇場関係者の皆さま、ファンの皆さま、家族、家内に心から感謝したいと思います。これからもお客様に喜んで頂けるそんな芝居を行っていきたい。 囲み取材にて、 ー 受賞前VTRで勝新太郎さんとのご一緒の写真なども紹介されていましたが、思い出を振り返ってみていかがですか? 松平健: ま、とにかく色々と派手なことをやられておりましたので、そこにはついていけないなってことがあったりして(笑)。一方、芝居とか人への気遣いは、側にいて大変勉強になりました。 ー この年齢でサンバを踊っていると思っておられなかったかと思いますが、いかがですか? 松平健: 80歳までやりたいな。肉体的にもあまり変わりないですし、やってて自分でも楽しいし、お客様の笑顔を見るともっとエネルギーが沸いてきます。 天童よしみ(てんどうよしみ):優秀賞/歌謡 天童よしみスピーチ: 本当に今夢を見ているような感じです。このような素晴らしい賞を受賞させて頂き、皆さまのたくさんのお力添えを頂き、デビューしてから今日まで五十数年歌って参りました。歌一筋で、色々なことがありましたが、昭和の時代にデビューし、平成、令和と。今年は(昭和が続いていれば)昭和100年という節目の年であります。その記念すべき年にこのような素晴らしい賞を頂けるということは、まだまだこれからも精進をして頑張って歌っていかなくてはならないと気を引き締めていきたいと思います。体も引き締めます!どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。 囲み取材にて、 ー お母さまは受賞について何かお言葉はありましたか? 天童よしみ: 朝から涙涙で、亡くなった父が、松尾芸能賞は芸能で素晴らしいと評価された人に贈られる賞であることをよく知っておりましたので、父に見せたかったなと朝から涙を流しておりました。母は92歳になりますが、今日は車椅子で会場に入り、受賞を見届けてくれたので、胸がいっぱいになりました。 ー 歌手の方だと、作品に対して賞を贈られることはあるけれど、人物に対して賞が贈られることはそんなに多くない。そのあたりで受賞の喜びに違いはありますか? 天童よしみ: 感動と感激が一つになって、本日凄いエネルギーを頂きました。今年は昭和でいうと100年です。言っていいのかな?この節目となる今年、私、『天童よしみ100曲を歌う』というチャレンジを11月に国際フォーラムで行わせて頂きます。自分でも信じられないんですが、100曲。いっぱい歌いたいと思います。皆さんに懐かしんでいただくと共に、令和に生きる喜びを感じて頂きたいなと思います。 中村獅童(なかむらしどう):演劇/優秀賞 中村獅童スピーチ: 本当にありがとうございました。話すことは色々考えてきたのですが、今、安孫子さん(当財団理事であり歌舞伎座代表取締役社長)の顔を見ていたら、昔のことを色々と思い出してしまいまして。今日はこちらに来させていただく途中、妻が「お母さん、喜んでるね」って言ったんですね。そういえばうちのお袋は賞をもらうことが大好きだったなと思い出したりして。 また、控室では演劇評論家の水落(潔)先生と席が隣になった際、先生から「お母さんが生きておられたらとっても喜ばれたね」とても優しいお言葉を頂きました。私が20代でまだ群衆の役ばかりの頃、『若き日の信長』というお芝居で一人の武将の役をやらせて頂いたんですけど、その時の劇評に一言「獅童の演技が光る」と書いてくださったんですね。それを当時母がとても喜んで、「あなた、このように書いてくださったんだから、立派な役者にならなきゃ駄目ですよ。お父さんは歌舞伎役者ではないかもしれないけど、皆さんにかわいがっていただいて立派な役者になりなさい。」なんてことを言われたなと思い出し、普段は舞台と客席の距離がありなかなか直接お会いすることがなかった水落先生に30年越しに「あの時は本当にありがとうございました。」とお礼を伝えることができました。 多くのことをご指導いただいた先輩方、皆さまに助けてもらいながら今日までやってこられたんだなと思います。伝統を守りつつ革新を追及する、そして、歌舞伎を観たことのない方にもっと歌舞伎を広めていく、それが私に与えられた使命だと思っています。今日の喜びは家族で存分に分かち合い、明日からは初心を忘れずに、謙虚な気持ちで一歩一歩丁寧に役者人生を歩んでいきたいと思っています。ありがとうございました。 囲み取材にて、 ー 歌舞伎を観たことのない方にも見て頂きたい、広めていきたいとのことでしたが、海外に向けて日本の歌舞伎をどのように展開していかれるか? 中村獅童: 例えば、超歌舞伎ですと、今年は万博でやらせて頂いたり、台湾、世界に配信したりなんてことも超歌舞伎でやっているのですが、海外の皆さまにどういったものが喜んで頂けるかを研究し、超歌舞伎を始め新しいことに挑戦出来たらなと思っております。 ー 息子さん二人も初舞台を終え、これから歌舞伎の道を邁進していくという意味では、またこの賞を息子さんたちが受賞出来たらいいなという気持ちもあるのではないですか? 中村獅童: あまり思わないですね。ライバルなんでね。街を歩いていても、子供のことばかり言われるので癪に障りますよね(笑)。子供に負けないように頑張ります。 川瀬露秋(かわせ ろしゅう):優秀賞/邦楽 川瀬露秋インタビュー: この度はこのような身に余る賞を頂き誠にありがとうございます。師匠であり母である川瀬白秋が亡くなり今年は13回忌にあたります。このような時にこのような賞を頂けて、恩返しが少しはできたのかなと思っています。歌舞伎の九州系地歌や胡弓の舞台演奏は表舞台ですが、歌舞伎の黒御簾音楽であったりお琴であったりは、舞台裏のお仕事なのですが、このように皆さんに認めて頂きとても励みになります。自分一人で出来ることではなく、先輩、仲間、お弟子さん、みんなで歌舞伎の仕事をしています。里の両親もとても喜んでくれ、とても親孝行ができました。導いてくださった皆さまのお陰です。これからもこの賞に恥じぬよう研鑽を重ねていきたいと思います。本当にありがとうございました。 尾上紫(おのえ ゆかり):優秀賞/舞踊 尾上紫スピーチ: このような素晴らしい賞を頂き本当に嬉しく思います。ありがとうございます。この賞のことを知ったのは、父がこの賞を頂きました時に、母が「この賞はとても素晴らしい賞なのよ!」と嬉しそうに申しておりました。そしていつか私も母を喜ばせたいと心のどこかで思っておりました。リサイタルは多くの人の支えで出来ております。この賞を受賞し皆さんに喜んで頂けることで、私は一人ではなく皆さんに支えられて活動できているんだということを改めて感じて感謝しております。また明日からはこの賞に恥じないよう頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました。 林佑樹(はやし ゆうき):新人賞/演劇 林佑樹スピーチ: このような大変な賞を頂き恐縮であり、身に余る光栄でございます。私はこれまで様々なジャンル、舞台で挑戦をして参りました。コロナ禍の大打撃を受け挫折することもありましたし、ただがむしゃらにひたすらに走り続けることもありました。そんな中、私を引き上げてくださった先輩方、応援してくださったお客様のお陰で今の私があります。女形というものは扱いづらいと言われ、悔しい思いをしたこともありました。ですが、日本伝統芸としてこれからもますます挑戦を続けていく所存でございます。謙虚に、熱い心をもって、日本の芸能の明るい未来を信じて精進して参ります。この度はありがとうございました。 堅田喜三代 (かただ きさよ):特別賞/邦楽 堅田喜三代スピーチ: このような名誉ある賞を頂き、光栄でありがたいことだと思っております。黒御簾音楽も邦楽のお囃子も一人で出来るものではありません。いつも一緒に演奏している仲間たちや劇団新派の方々、そしてそれを作っていらっしゃる方々のお力添えがなければこの賞は頂けなかったと思います。創作囃子というのは、歌舞伎囃子と同じことをやっているのですが、歌舞伎に従事していないお囃子の肩書です。男性社会である邦楽の中で、地道に努力している女性の囃子家や邦楽の演奏家のためにこの賞はとても励みになります。私ももっともっと努力して頑張っていきたいです。 大村崑(おおむら こん):功労賞/演劇 大村崑スピーチ: 昭和、平成、令和と生きてきて93歳になり、このような立派な賞を皆さまの前で頂けるなんて、こんな幸せな喜劇役者はいないと思います。「生きててよかったな~」って思います。崑ちゃん、喜んでおります!ありがとうございました。